協会概要
会長挨拶
2012年1月、ウズベキスタンに初めて降り立ったのは雪の降るタシケントでした。夜のタシケントに白く舞う雪がどこか幻想的な雰囲気を醸し出し、童話の物語の中にいるようでした。 サッカーのウズベキスタン国内リーグで初めての日本人選手ということで、現地でどのように扱われるか、当初は不安もありましたが、クラブ関係者、サポーター、メディア、街の方々など、ウズベキスタンの方々がとても温かく迎え入れてくれ、すぐに馴染むことが出来ました。
タシケントとブハラ、2つの街に居住し、どちらの街でも人々が温かく、ウズベキスタンが大好きになりました。イチャン・カラやシャフリサーブスなど、世界遺産も多く、アヤズカラやヒヴァの街など、見所も多いウズベキスタンを、より多くの日本人の方々に知っていただき、また、ウズベキスタンと日本の交流がさらに進んでいくと、両国にとってより良い効果を生み出していくのではないかと感じております。本協会が両国の発展の一助になれれば幸いです。
- 会長:柴村 直弥
プロフィール:
日本人初のサッカーウズベキスタンプロリーグ選手。FCパフタコール・タシュケント及びFKブハラでプレーし、FCパフタコールでACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)に出場、FKブハラではウズベキスタンカップ3位入賞。
Jリーグのクラブではアビスパ福岡、徳島ヴォルティス、ヴァンフォーレ甲府でプレーし、徳島ヴォルティスではキャプテンとしてチームを牽引。
FKヴェンツピルス(ラトビア)でラトビア1部リーグ優勝及びラトビアカップ優勝、さらにはUEFAヨーロッパリーグにも出場しており、アジアのみならず欧州でも実績のある選手。
設立趣旨
紀元前からシルクロードの通り道としても国際交流の一旦を担ってきた地は、ウズベキスタン共和国として1991年に独立して以降、中央アジアの他4か国のすべてと国境を接する唯一の国でもあり、中央アジアの中心的な存在として発展していきました。その発展に大きく寄与したカリモフ元大統領の後任として2016年にミルジィエフ大統領が着任し、現在も更なる成長を遂げています。
そのような中、ウズベキスタンのスポーツも進化を遂げてきました。初めて夏季五輪に出場した1996年アトランタ五輪で2個だった獲得メダルは、2016年リオデジャネイロ五輪では金メダル4個を含む13個となりました。ウズベキスタン国民の人気スポーツでもあるサッカーにおいても、2015年のU-20(20歳以下)ワールドカップでは、アジア勢唯一の2大会連続でのベスト8に駒を進め、2018年に行われたU-23(23歳以下)アジア選手権では初優勝を果たすなど、目覚ましい発展を遂げています。
シルクロードに加え、ウズベキスタンの首都タシケントには日本人が建設に貢献したナヴォイ劇場もあり、ウズベキスタンと日本との文化の交流も進んでいる中、本協会では主にスポーツ、教育、医療などの面からウズベキスタンと日本との国際交流を進めていき、両国の更なる発展に寄与していけるよう活動していきます。